文武兼備の空手家
喜屋武朝徳は、1870年11月に首里儀保村で誕生した。
父親の朝扶は、尚泰候の家扶(書記官)の要職にあり文武両道にたけた高潔な人格者であった。
朝徳は12歳のころ父に伴われて上京し、16歳まで二松学舎で漢学を学ぶ。小柄で体も弱かったので父親から空手や角力を教わる。
20歳のときに帰省し、首里手の松村宗棍、泊手の親泊興寛に師事し、空手道の大家となる。
38歳のころから比謝川付近に居を構え後進の指導に当たった。
通称「チャンミーグヮー」と呼ばれ、体つきはやせて小柄だったが飛鳥のような早技をもって世に知られた空手家。
琉球古典音楽野村流名人
1897年嘉手納町水釜に生まれる。
17歳の時に勢理客宗徳氏より琉球音楽野村流の手解きを受ける。
その後瑞慶覧朝蒲、高安朝常、金武良仁、伊佐川世瑞、宮城嗣長の各先生に師事。
研鑚にはげみ、1963年に沖縄タイムス社より芸術祭協力賞を授与され同年12月、野村流音楽協会定期総会において名人賞を授与される。
野村流及び湛水流師範
1900年、奥間家の三男として嘉手納町水釜に生まれ7歳の頃から三味線を手にし、21歳で村芝居の地謡をなす。
その後山田世恭、城間恒有らに師事。
1955年野村流古典音楽保存会創立に参加し、翌年、野村流師範を免許皆伝。